2016年11月、私は長年過ごした岡崎を離れ、名古屋市名東区へと接骨院を移転しました。大きな理由は、高齢になった母の近くで暮らしを支えたいという思いでした。岡崎での7年間は、地域のスポーツ少年少女に囲まれ、多くの症例を診ながら自分自身も成長できた大切な時期でした。しかし「家族の近くで安心を届けたい」という気持ちは年々強くなり、最終的に移転という大きな決断に至りました。
岡崎で積み上げてきた基盤を手放すのは決して簡単なことではありませんでした。分院として任され、やがて経営権を譲り受け、自分の院として育ててきた場所を離れるのですから、不安は尽きません。それでも、母のそばで働くことを優先したいという想いが、最終的に背中を押しました。
新しい地は名東区の猪高台。住宅地の一角に院を構えました。看板を掲げ、扉を開けた瞬間の緊張感は、岡崎で分院を任されたとき以上でした。移転を機に、私は思い切って保険診療をやめ、自費施術と完全予約制に切り替えました。ずっと感じていた「保険の枠では本当にやりたい施術ができない」という葛藤に区切りをつけるためでした。
必要だと思っても保険の範囲に当てはまらなければ施術できない。そんな日々が続くうちに、「自分は何のために施術家になったのか。患者さんを治すためになったのではないのか」と自問自答するようになりました。制限に縛られるのではなく、自分が納得できる施術を届けたい。その答えが、自費への切り替えでした。
もちろん、移転直後はやはり厳しい日々が続きました。岡崎で積み重ねた患者さんとのつながりは一度リセットされ、新しい土地で自費施術を理解してもらうのは簡単ではありませんでした。完全予約制にしたため、岡崎時代のように待合室が子どもたちであふれることもなく、電話が鳴るかどうか、予約が入るかどうか、その一つひとつに一喜一憂しました。それでも「これは自分が選んだ道だ」と自分を奮い立たせ、来てくださる患者さんに全力で向き合いました。
ありがたいことに、岡崎から今でも通ってくださる患者さんが何人かいらっしゃいます。決して近くはない距離を越えて、「先生に診てもらいたいから」と足を運んでくださる。その存在に支えられ、「岡崎での年月は決して無駄ではなかった」と実感できました。
自費に切り替えたことで、大きく変わったのは患者さんとの向き合い方でした。保険施術ではどうしても「今日の痛みを取る」ことが中心になりがちでしたが、自費では「その方が本当に望んでいることは何か」を聞き出すことに重点を置くようになりました。腰痛一つにしても、「今日だけ楽になればいい」という方もいれば、「再発しない体を作りたい」という方もいます。そこを共有しなければ、本当の意味で改善にはつながりません。だからこそ、しっかり話を聞き、一緒に未来を見据えた施術を行うようになりました。
地域との関わりもまた、名東区での挑戦の一つでした。自治会活動に参加する中で、ソフトバレーボール大会や夏祭り、運動会、脳トレ講習会など、地域の方々と触れ合う機会が増えていきました。こうした活動は大々的な宣伝の場というわけではありませんでしたが、「あの接骨院の先生」と顔を覚えていただけるようになり、その後に実際に来院してくださった方も何人かいらっしゃいました。地域でのつながりが、少しずつ信頼へと変わっていったのです。
こうして、名東区での生活と施術はスタートしました。岡崎のように子どもたちが待合室で宿題をする光景はなくなりましたが、その分、患者さん一人ひとりと向き合う時間をしっかり取ることができるようになりました。移転直後の厳しさを経験しながらも、自費施術だからこそ築ける新しい信頼関係があり、それが次の展開につながっていきます。

