整形外科で2年間の経験を積んだあと、私は刈谷市にある接骨院に就職しました。スポーツの現場を多く診ていると評判の院で、院長先生はアスレチックトレーナーの資格を持ち、サッカーやソフトボール、ラグビーなど社会人トップレベルのチームをサポートしてきた方でした。スポーツが好きで、競技に関わりたいと考えていた私にとって、この環境はまさに「修行の場」になると感じたのです。
刈谷での日々は、緊張感に満ちた毎日でした。施術の合間に学んだことをまとめ、毎週必ずレポートにして提出することが課せられていました。症例や気づきを文章にして整理するのは簡単ではありませんでしたが、文章化することで自分の考えを深める習慣が自然と身につきました。院長の指導は厳しく、ときには年下のスタッフが叱られて涙する場面もありました。私自身は比較的やりやすかった方ですが、それでも毎週のレポートや院長からの指摘には常に緊張感を持って臨んでいました。この時に鍛えられた「記録を残し、振り返る姿勢」は、今でも大きな財産になっています。
さらに、この時期には「豊田自動織機ラグビー部」でのトレーナー活動にも携わりました。2年間、午前中は接骨院の業務をこなし、午後からはラグビー部の練習や試合に帯同するという生活を続けました。ラグビーはとにかくケガが多く、タックルやスクラム、モールやラックの中で肉離れや捻挫、打撲が次々と起こります。その場で対応するには冷静な判断力と瞬発的な行動が求められ、毎回が本番さながらの緊張感でした。
試合や練習で選手が倒れ込むと、すぐに駆けつけなければなりません。観客や仲間が見守る中での判断は一瞬の迷いも許されません。「続行可能か、交代させるべきか」「肉離れか、打撲か」――その判断次第で選手の未来が変わるかもしれない。整形外科での経験を総動員しつつ、現場独特のスピード感に必死で対応していました。
ラグビー部での大事な仕事のひとつが「テーピング」でした。試合前や練習前になると、まるで戦場のような雰囲気になります。選手より年上の私に対しても、アドレナリン全開の選手たちは「早く巻いてくれ!」「ここのところが効いてないぞ!」と強い口調で訴えてきます。悪気があるわけではなく、それだけ本気でプレーに集中しているのです。そんな中で学んだのは、教科書通りの基本はもちろん大事ですが、それだけでは通用しないということでした。選手一人ひとりの感覚や競技特性に合わせた巻き方を考えなければならない。ある意味で「オーダーメイドのテーピング」が必要だったのです。そしてこれは通常の施術でも同じ。人それぞれ違う体を持っている以上、求められる対応も異なる。ただし応用ができるのは基本があってこそ。基礎を徹底して学んだからこそ、応用に対応できることを、現場で身をもって学びました。
そんな中、自分自身がケガをするという忘れられない出来事もありました。ある練習試合で選手が密集の中で倒れ、ケガをした様子だったので私は急いで駆けつけました。その瞬間、後ろから誰かに蹴られたような感覚があり、「あれ?おかしい」と立ち止まると――なんと自分自身が肉離れを起こしていたのです。まさかトレーナー本人が負傷するとは情けない話ですが、それでも必死で選手の手当てをしてピッチの外へ。その後はまともに歩けなくなり、結局は院長に交代してもらいました。今となっては笑い話ですが、当時は「自分の体を大切にすること」も学ばされた瞬間でした。
この2年間で得た実践経験は、今でも自分の施術に最大限生かされています。ラグビー部での活動は、単なる技術や知識の積み重ねではなく、「現場で必要とされる総合力」を鍛えてくれました。冷静な判断力、選手やスタッフとのコミュニケーション力、そして自分自身の体を管理する意識――これらが揃って初めて、スポーツ現場で信頼される存在になれるのだと実感しました。
今でも院長とは時々お会いし、情報交換を続けています。当時は毎週のレポート提出や厳しい指導で緊張の連続でしたが、その積み重ねが自分を大きく成長させてくれました。そして豊田自動織機ラグビー部での活動は、施術家としての根幹を形作る大きな糧となり、現在の施術スタイルに直結しています。

