大学を卒業した私は、就職活動を経て社会人としての第一歩を踏み出しました。当時はまだバブルの余韻が残っており、会社訪問をするとお土産をいただけることも珍しくありませんでした。食品会社を中心に訪問していたので、食べ物にまつわるお土産も多く、学生ながらに「なんていい時代なんだろう」と思ったものです。
その中で縁があったのが、いわゆるハムメーカー。ハムやソーセージなどの加工品ももちろん扱っていましたが、私が配属されたのはその原料となる食肉を取り扱う部門でした。入社当初は「えっ、肉を扱う会社?」と驚きもありましたが、結果的にここで得た経験が後の人生につながるとは、この時はまったく想像もしていませんでした。
社会人として迎えた最初の日々は新鮮そのものでした。会社指定の白衣のような制服に袖を通し、取引先を回る。学生時代とはまったく違う緊張感がありましたが、不思議とワクワクしていました。食品会社といえばスーツ姿で営業というイメージを持っていた私は、最初は「肉屋さんに入っていくのに白衣?」と戸惑いましたが、次第にその格好にも慣れました。今思えば、その白衣姿で汗をかきながら肉を担ぐ日々も、自分にとっては貴重な経験だったのです。
ただ、仕事内容は決して楽ではありません。食肉は1つの塊が30キロ以上になることも珍しくなく、それを担いで運ぶのは日常茶飯事でした。ときにはカット前の牛を肉屋さんに届けることもありました。学生時代に鍛えた体力があったからこそ何とかこなせましたが、腰や膝に負担がかかるのは避けられませんでした。案の定、腰痛は悪化し、坐骨神経痛にまで発展しました。20メートルほど歩くと足の感覚がなくなり、しゃがんで休むと血流が戻るのを感じながら再び歩く。そんな繰り返しに悩まされるようになったのです。今振り返れば、この経験も「人の体を治す仕事に就こう」と思うきっかけのひとつでした。
もちろん仕事のやりがいもありました。取引先との商談では、金額のわずかな違いが大きな影響を及ぼします。例えば10トンの肉を扱えば、1円の差で1万円の違いになるのです。そのため、商談は真剣勝負でした。たった1円をめぐって何時間も交渉が続くことも珍しくありません。その一方で、同じ社長から「後藤!今日は好きなだけ飲め!全部俺のおごりだ!」と豪快に誘われることもありました。内心「飲み代で何万円も払うなら、1円くらい値切らないでくださいよ」と思ったのはここだけの話です。
そんな食肉会社での経験には、今でも役立っていることがあります。肉屋さんで昼食時に賄いをいただくことがあり、そこで実際に解体される肉の部位を目にしました。そのときに「ここがヒレだよ」と教えてもらい、後年それが人間の大腰筋にあたると知ったときには「ああ、なるほど!」と腑に落ちました。今、腰痛の患者さんに「大腰筋が大事ですよ」と伝えるとき、頭の片隅にはあの肉屋さんの風景が浮かびます。思いがけず、食肉会社での経験が解剖学の実感につながっているのです。
そして、この頃の私はあることに気づき始めていました。毎日取引先を回り、納品し、「ありがとう」と言われる。その言葉は嬉しいのですが、心の奥では「本当に喜んでもらえているのだろうか」と疑問が残っていたのです。そんな中、柔道部時代に得意だったマッサージを肉屋の大将たちにやってあげる機会がありました。「おお、楽になったわ。ありがとう!」と言われたとき、なぜかその方がずっと嬉しかったのです。単なる納品よりも、人の体を直接楽にすることの方が、自分にはしっくりくると感じた瞬間でした。
ちょうどその頃、同じ会社で働いていた後輩が「僕、鍼の資格を取るために専門学校に行きます」と言いました。その言葉が、私の背中を強く押しました。「自分もこのまま肉を扱う仕事を続けるのではなく、人の体を扱う仕事をしてみたい」と考えるようになったのです。
こうして私は、11年間勤めた食肉会社を退職し、柔道整復師を目指す道を選びました。大学時代に柔道で培った経験、社会人時代に味わった腰痛や坐骨神経痛、そして「人の体を楽にしてありがとうと言われたい」という思いが、一つにつながっていきました。
振り返れば、食肉会社での11年間は決して無駄ではありませんでした。体力的にも精神的にも鍛えられ、取引先とのやりとりで粘り強さを学び、そして「人を支える仕事をしたい」という本当の気持ちに気づかせてくれました。今、接骨院で患者さんと向き合う自分の原点は、実は肉の現場にあったのかもしれません。

