2000年4月、私は33歳にして専門学校の門を叩きました。食肉会社を辞め、柔道整復師を目指すという大きな転機でした。11年間、肉を担ぎ、値段交渉をしてきた人間が、今度は解剖学や生理学の教科書を前にするわけです。私を知る人からすれば「えっ!? 本当に?」と目を丸くするような決断だったに違いありません。
入学式の日。周囲を見回すと、10代後半から20代前半の若者たちでいっぱい。私と同じくらい、あるいは年上の人も数人はいましたが、やはり少数派。初日の自己紹介で「前職は食肉会社です」と話した瞬間、クラスの空気がざわっとしたのを覚えています。「なんで肉屋のおっちゃんがここに?」という視線。心の中で「いや、違うんだよ、今は医療の道を目指してるんだ」と必死に言い訳していました。
授業は新鮮そのもの。座学では普通に机に向かって勉強し、実技の授業になると白衣に着替えて臨みました。解剖学で習った筋肉や関節を実際に触りながら確かめることで、頭で覚えた知識が体にしみ込んでいく感覚がありました。最初の頃は「勉強すること自体が楽しい」と思えましたが、だんだんと若い子たちとの差を痛感します。彼らは一度授業を聞いただけで理解できるのに、私は家に帰って復習しないと頭に残らない。しかも試験が終われば、せっかく覚えたことがスルッと抜け落ちてしまう。それでも「若い奴らに負けてたまるか」と気合で机にかじりついていました。
特に印象的だったのは解剖学の授業。筋肉の起始・停止をひたすら暗記し続けました。高校時代に地理や歴史を覚えるのに苦労した私が、今になって筋肉の名前を丸暗記することになるとは思いませんでした。ただ不思議と、肉屋時代の記憶とつながる部分が多く、「ああ、これがヒレ肉=大腰筋か」と腑に落ちる瞬間が楽しかった。周りの若者にはない、妙なアドバンテージがそこにありました。
現場経験も積みました。最初に研修に行ったのは鍼灸マッサージ師の先生のところで、2か月ほどクイックマッサージを担当。ここで学んだ「相手の体を感じ取る手の感覚」は、今の施術の基礎になっています。その後は整形外科に勤務。肩書きは「リハビリ助手」でしたが、実際には患者さんへの施術まで任されていました。体操指導、電気治療のセット、そして手を使ったリハビリ。国家資格前からそうした経験ができたのは、本当にありがたいことでした。
整形外科には優秀な理学療法士の先生がいて、助手の頃からレントゲンの見方を教わりました。骨折線を必死に探す私の横で「ここにあるよ」と軽く指摘されるたびに「この人は人間CTか!?」と感心するばかり。国家資格に合格してからもしばらく勤務を続け、脱臼の整復も経験しました。初めて肩の脱臼を整復したときは手が震えましたが、正しい方向に合わせた瞬間「コクッ」と収まる感覚が伝わってきました。その瞬間、患者さんの顔がパッと明るくなる。あの感覚は今でも忘れられません。
学生生活の思い出も多くあります。10代20代の同級生とのジェネレーションギャップは随所にありました。授業中に「眠い」とか「宿題やってない」と言い合う彼らを横目に、「若いなあ」と苦笑い。ノートも彼らはカラーペンやイラストでカラフルにまとめているのに、私は黒ボールペン一色でびっしり。まわりから見れば「おじさん必死だな」と思われていたかもしれませんが、その必死さが逆に良かったのだと思います。
国家試験の勉強はとにかく大変でした。仕事をしながらの勉強は体力的にも精神的にもきつかったですが、「ここで頑張らなければまた肉を担ぐ生活に戻るぞ」と自分を追い込みました。結果、合格証書を手にしたときの喜びは、人生で何度目かの大きな達成感でした。
こうして3年間の専門学校生活と整形外科での現場経験を通じて、私は柔道整復師としての基盤を築きました。肉体労働から知識労働、そして臨床経験へ。33歳での再スタートは決して平坦ではなかったですが、振り返れば「この時期があったから今の自分がある」と胸を張って言える大切な時間です。

