第1章 幼少期から高校入学まで
私の原点は、子どもの頃の「体を動かすことが好き」という気持ちにあります。まだ柔道に出会う前、私は野球や相撲に夢中でした。放課後は友達と野球をして遊び、力が余れば相撲をとる。ときには年上の子たちに混じって土俵に立つこともありました。体格的にはそこそこ恵まれていたので、年上相手でも「よし、やってやるぞ」と挑むことができました。もちろん負けることもありましたが、ぶつかり合う感覚や勝ったときの嬉しさは、私にとって何よりも楽しい経験でした。
相撲をするときは、本当に夢中でした。砂だらけになりながら腰を落とし、全身で踏ん張る。押されても耐え、隙を見て前に出る。時には土俵を飛び出して転がることもありましたが、それすらも笑いながらまた立ち上がって挑む。体の強さや技術というよりも、ただ「負けたくない」「もっと強くなりたい」という気持ちが私を動かしていたのだと思います。
野球も大好きでした。グローブをはめ、バットを振り、ボールを追いかける。どのポジションが得意だったというよりも、とにかくボールがあるところに走っていくタイプ。いつも汗だくになって帰ってきて、母に「また泥んこになって」と笑われるのがお決まりでした。スポーツの技術を磨いていたというより、友達と一緒に体を動かすこと自体が楽しくて仕方がなかったのです。
小学校から中学校にかけても、体を動かすことへの情熱は変わりませんでした。体育の授業は大好きで、球技や陸上も一生懸命取り組みました。クラス対抗のリレーでは全力で走り、ドッジボールでは投げては逃げ、最後まで残ることに熱中する。勉強よりも運動の方が得意で、成績表に「体育◎」と書かれているとそれだけで誇らしかったのを覚えています。
中学生になってからは部活動で野球を続ける友達もいれば、他のスポーツに打ち込む仲間も増えました。私は正式に部活動で競技を極めるというよりは、放課後に友達と体を動かすことが中心でした。振り返ると、ここで「自分は何か一つの競技を極めたい」という気持ちが芽生えていたのかもしれません。ただ、その時点ではまだ「柔道」という言葉は自分の中に存在していませんでした。
そんな中でも、体を動かすことを通じて「自分は力だけは負けない」という意識が強くなっていきました。子どもながらに「体を動かすことなら任せろ」という気持ちが、いつの間にか心の支えになっていたのです。
そして迎えた高校入学。ここで私は人生を大きく変える出会いをします。入学式後の部活動オリエンテーション。各部が新入生を勧誘する中で、柔道部の先輩が私に声をかけました。「君、いい体してるね。柔道をやれば絶対強くなるし、女の子にモテモテだよ。」その一言が私の心を大きく動かしました。単純にその気になってしまった私は、柔道部への入部を決意しました。
もちろん結果的には「モテモテ」とはいきませんでしたが(笑)、この一言が私を柔道の世界へと導き、人生を大きく変えるきっかけになったのです。
第2章 高校・大学での柔道経験
高校は県立長久手高校で、柔道部といっても決して強豪ではなく、県大会にすら出られない弱小チームでした。その中では私は体格に恵まれていたこともあり、比較的強い方でした。そのため、自分では「そこそこ強い」と勘違いしていたのでしょう。練習は初心者ばかりだったので、きついと感じることは少なく、むしろ楽しく取り組めました。食欲も旺盛で、練習の帰り道にはいつもお腹が減り、お好み焼き屋に立ち寄って食べてから帰宅するのが日課になっていました。その店には漫画「1・2の三四郎」が置いてあり、柔道をやり始めた自分にとっては刺激を受ける存在でした。お好み焼きを食べながら夢中で読んでいたことを今でも覚えています。
柔道を始めて3か月で黒帯を取ることができました。柔道経験がまったくなかった私にとっては大きな自信となりました。高校の柔道生活は決して厳しいものではありませんでしたが、それでも柔道の基礎を身につけられたこと、そして仲間と共に汗を流した経験は、のちに大きな財産となりました。
そして大学進学。私は名城大学に進みました。名城大学の柔道部は東海地区では常に上位に入り、全国大会にも出場する強豪校でした。高校時代に「そこそこ強い」と思っていた私が、全国レベルの猛者たちの中に飛び込んでいったのです。
入部初日、先輩に声をかけられて稽古に参加しました。柔道着に着替え、いざ乱取り稽古に挑みましたが、まったく歯が立ちません。組み合うことすらできず、柔道着に手をかけることすらままならない。高校時代の自信が音を立てて崩れ去る瞬間でした。「これはとんでもない世界に入ってしまった」と思いました。
大学の柔道部には、高校時代に正月三が日しか休まず練習していたエリートたちが集まっていました。そんな彼らにとって、大学の稽古はむしろ「楽だ」と感じる程度のものでした。しかし私にとっては、ただついていくだけでも必死でした。同じ稽古でも感じ方がまったく違うのです。練習中は水を飲むことも許されず、喉が渇けば「トイレに行く」と言って洗面所の蛇口に口をつけて水を飲むのが精いっぱい。春合宿では、朝は延々と走り込み、午前中は寝技、午後は立ち技、夜は試合形式の稽古。そして最後に腕立て伏せ300回というメニューが待っていました。ある同級生は「ゴトちゃん、俺の腕を折ってくれ。そうしたら練習を休めるかもしれん」と真顔で言ったほどでした。その気持ちは痛いほど分かりました。それでも必死に食らいつく毎日でした。
ただ、大学の柔道部は上下関係が厳しすぎるということはなく、先輩方は面倒見がよく、今でも施術を受けに来てくださる方がいます。当時のつながりが今に続いていることは、本当にありがたいことです。
そんな厳しい中でも、自分なりの活路を探しました。立ち技ではセンスの差が大きく、どうしても勝てない。そこで私が目をつけたのが寝技でした。寝技は練習量がものを言います。苦しさはありますが、やればやるほど強くなる実感がありました。私は大学では寝技に力を入れ、少しずつ成果を出すことができました。結果として団体戦のレギュラーにはなれませんでしたが、4年生のときに補欠として団体戦のメンバーに入ることができました。日本武道館の畳の上に立てたことは、私にとって人生の宝物です。続けることの大切さを、身をもって学びました。
合宿といえば、忘れられない思い出があります。毎年恒例の東海大学での春合宿です。そこではロサンゼルスオリンピックの金メダリスト、山下泰裕さんが練習を見に来てくださり、ウエイトトレーニングのときに「君、なかなか力あるね」と声をかけていただきました。(ちなみに、そのときにサインもいただきました。)あの一言は、当時の自分にとって大きな励みとなりました。もちろん練習では東海大学の選手たちにまったく歯が立たず、何度も締め落とされました。しかし合宿中に行われた相撲ではなぜか力を発揮でき、東海大の選手たちに勝ち越し、「横綱」と呼ばれるようになったのも今では笑えるエピソードです。
柔道を続ける中で、ケガも数多く経験しました。高校時代には腰を投げられて翌日に突然力が抜けて倒れ込んでしまい、それ以来長年腰痛に悩まされました。大学では肩鎖関節を脱臼し、今でも骨が飛び出しています。膝も靭帯が緩んでしまい、時々不安定さを感じることがあります。全身にケガを抱えながらも続けられたのは、柔道が好きだったから、そして仲間がいたからだと思います。
仲間との関係は今でも続いています。インターハイに出た全国レベルの選手たちと、素人同然だった私が同じ畳で汗を流し、今も昔話をできることは本当に楽しいことです。あの頃に一緒に苦しんだ仲間だからこそ、今も深いつながりがあるのだと思います。
高校から大学にかけての柔道生活は、私にとって大きな学びの場でした。体を鍛え、精神を鍛え、仲間とともに生きることの大切さを学びました。そして、この経験があったからこそ、今、接骨院で患者さんの体と向き合うときに、痛みや不安に共感できるのだと思います。柔道で得た経験とケガの記憶は、私の施術家としての原点なのです。

